『音楽を楽しむために、ご縁が必要だと思う』

さいたま~都内を中心に、バンド形式のコピー・セッションやライブイベントを開催するコミュニティ「ライブワゴンミュージック」です。

音楽を楽しむ、特に「誰かと一緒に演奏すること」を楽しむためには、やはりご縁が必要なのだと思います。

一人で音楽を楽しむ手段は、今の時代いくらでもあります。音源を聴くことも、動画を見ることも、自分で演奏を録音することもできるし、DAWを使って一人で作品を作ることもできる。環境としては、これ以上ないほど整っていると言っていいと思います。

それでも、「一緒に音を出す」ということだけは別です。これはどうしても人が必要になります。誰かがいて、同じ時間に同じ場所で音を出す。そのためには、当たり前ですが人と人がつながる必要がある。そのつながりを、ここでは「ご縁」と呼んでもいいのではないかと思います。

ただ、そのご縁というものをどう捉えるかで、音楽の楽しみ方は大きく変わる気がしています。

従来の音楽活動の中では、ライブに来てもらう、ファンになってもらう、対バンを集めてライブをする、あるいは義理・付き合いで来てもらう、といった流れが当たり前のようにあります。ライブハウスの仕組みの中では自然な形ですし、それによって成り立っている部分があるのも理解はできます。

ただ、自分の中ではどうしてもそこに違和感があります。

来てもらう側と来る側、演奏する側と観る側、どこか最初から役割が分かれていて、一方通行の関係になりやすい。そして気がつくと、「来てもらうためにやる」「関係を広げるためにやる」というように、音楽そのものよりも、その先の目的の方が前に出てしまう。

それは自分がやりたい音楽の形ではないと思っています。

むしろ、そういう構造から少し離れたところに、これからの音楽の楽しみ方があるのではないかと感じています。

音楽は本来、もっとシンプルなものです。同じ時間と場を共有して、一緒に音を出す。それだけで成立するものだと思います。そこに上下関係もなければ、「集客する」「される」という関係も必要ない。ただその場にいる人同士が、同じ時間を過ごす。それで十分です。

普段の生活の中では、人とのコミュニケーションが苦手だと感じることもあると思います。何を話していいかわからない、距離感が難しい、そういうことは誰にでもあるものです。でも音楽が間に入ると、不思議と関係が成立します。言葉がなくても成り立つし、無理に合わせなくても同じ方向を向ける瞬間がある。

音楽は、人と人の間に自然に入り込むフィルターのようなものなのかもしれません。

だからこそ、ご縁というものも「作るもの」というよりは、「自然に生まれるもの」として考えた方がしっくりきます。無理に広げる必要もないし、何かの目的のために繋げる必要もない。ただ一緒に音を出した、その時間が楽しかった、その積み重ねの中で結果として関係が残っていく。それでいいのだと思います。

そして、そのようにして生まれたご縁は、結果的に少しずつ広がっていきます。広げようとして広がるのではなく、楽しい時間を共有する中で自然とつながりが増えていく。その広がりは、そこにいる人たちにとって無理のない形でのメリットになり、できることの幅を広げてくれるものでもあります。

誰かと出会うことで演奏の機会が増えたり、新しい音楽に触れたり、今までやらなかったことに挑戦するきっかけが生まれたりする。そうした変化は、意図して作るものではなく、あくまで結果としてついてくるものです。

楽しさが広がることと、ご縁が広がることは、ほぼ同じ意味なのだと思います。

その先に何があるかは、あまり考えなくてもいいのではないでしょうか。どうせなるようにしかならないし、無理に形を作ろうとすると、どこか不自然になってしまう。

自分がイメージしているコミュニティは、そういう場所です。ライブに来てもらうためでもなく、ファンになってもらうためでもなく、対バンを集めるためでもない。ましてや義理で関係をつなぐような場所でもない。

そうではなくて、ただ音楽を楽しむために人が集まり、結果としてご縁が生まれていく場所。そしてそこから色々な広がりが生まれていく。

音楽を楽しむためにご縁があり、そのご縁の中でまた音楽が生まれていく。そしてその楽しさが少しずつ広がっていく中で、無理のない形で関係や可能性も広がっていく。

そんな循環が自然に続いていく形が、これからのAI時代の音楽活動のあり方の一つなのではないかと感じています。